行政書士試験に落ちた。
しかも、全く勉強していなかったわけではない。
9ヶ月間、毎日勉強した。
問題集は11冊。
模試も受けた。
勉強時間も確保した。
それでも結果は110点。
当時の私は、本気でこう思っていた。
「努力が足りなかったんだ」と。
でも、違った。
本当に間違っていたのは、
勉強量ではない。
才能でもない。
根性でもない。
“判断”だった。
なぜこの記録を書くのか
このブログでは、勉強法だけを教えたいわけではない。
むしろ逆だ。
行政書士試験を通して見えた、
「努力しているのに結果が出ない人の構造」を記録したい。
なぜなら、当時の私は、
- 情報を集めて安心していた
- 教材を増やして満足していた
- 難しい問題を解いて勉強した気になっていた
- “今やるべきこと”を選べていなかった
からだ。
つまり、失敗した原因は知識不足ではなく、
判断基準が壊れていたことだった。
当時の状況

勉強期間
9ヶ月
社会人として働きながら勉強していた。
時間が全くなかったわけではない。
むしろ、周囲から見れば「頑張っている人」だったと思う。
使用した問題集・教材
気づけば11冊になっていた。
最初は不安だった。
だから、
「もっと分かりやすい教材があるかもしれない」
「この問題集も必要かもしれない」
「みんな使ってるなら買った方がいいかもしれない」
そうやって増えていった。
でも今なら分かる。
あれは勉強熱心だったのではない。
“判断できない不安”を買い物で埋めていただけだった。
当時の勉強状態
今振り返ると、完全に崩れていた。
例えば、
- 今日やるべきことが毎日変わる
- 教材ごとに言っていることが違う
- 復習が積み上がらない
- 計画がその場対応になる
- 難しい問題に時間を使う
そして何より危険だったのは、
「勉強している感覚」はあったこと。
だから気づけなかった。
なぜ110点だったのか

理由①:300点を目指していた
行政書士試験は300点満点。
でも、合格点は180点。
当時の私は、全部理解しようとしていた。
だから、
- 難問
- 細かい論点
- 出ない知識
に大量の時間を使った。
結果、基本が崩れた。
今なら分かる。
行政書士試験は、
「全部できる人」が受かる試験ではない。
「何を捨てるか決められる人」が受かる試験だ。
理由②:教材を増やした
教材が増えると安心する。
でも実際は逆だった。
教材が増えるほど、
- 軸がブレる
- 復習回数が減る
- 判断が鈍る
からだ。
しかも厄介なのは、
「勉強している感覚」が強くなること。
つまり、
“努力している錯覚”だけが強化される。
理由③:優先順位が崩れていた
これはかなり大きかった。
当時の私は、
「今できないこと」
ばかり見ていた。
だから、
- 苦手分野
- 難問
- 不安な論点
を優先していた。
でも、本当に必要だったのは逆だった。
まずやるべきは、
“取れる問題を落とさないこと”
だった。
理由④:判断を他人に委ねていた
これが一番危険だった。
私は、
- 評判
- ランキング
- SNS
- 合格体験記
を基準に動いていた。
つまり、
自分で決めていなかった。
だから、
- 情報が来るたびに揺れる
- 教材が変わる
- 勉強法が変わる
- 軸が消える
当然、積み上がらない。
行政書士試験は「判断の試験」だった

今ならはっきり言える。
行政書士試験は、知識試験ではない。
もちろん知識は必要。
でも、本当に差がつくのは、
- 何を捨てるか
- どこに時間を使うか
- どの教材を選ぶか
- 何を繰り返すか
を決める“判断”だ。
つまり、
試験前から勝負は始まっている。
あなたは大丈夫だろうか

もし今、
- 教材が増えている
- 勉強法を探し続けている
- 計画が崩れている
- 勉強しているのに伸びない
なら、注意した方がいい。
それは努力不足ではない。
判断がズレ始めている。
そして厄介なのは、
ズレている人ほど「頑張っている」ことだ。
だから止まれない。
このブログでやること

このブログでは、
「おすすめ教材」や「最強勉強法」を押しつけたいわけではない。
むしろ逆だ。
やりたいのは、
“判断を取り戻すこと”
そのために、
- なぜ人は失敗するのか
- なぜ努力が積み上がらないのか
- なぜ判断がズレるのか
を構造的に整理していく。
次に読むべき記事

勉強しているのに伸びない人へ
あなたの「判断のズレ」を診断する
問題集11冊で崩壊した理由
教材選びを狂わせる「4つの判断ミス」
優先順位が崩れる人の特徴
「その場対応」が積み上がりを壊す理由
最後に

110点だったこと自体は、もう変わらない。
でも、あの失敗があったから分かったことがある。
人は、
努力不足で失敗するんじゃない。
“判断を誤ったまま努力する”から崩れる。
もし当時の私に必要だったものがあるとしたら、
それは根性論でも、
才能でも、
裏技でもない。
「何を捨てるか決める基準」だった。